【留学体験記】演奏家の音楽留学、木村瑠菜さんの魅力を言葉に。

【留学体験記】演奏家の音楽留学、木村瑠菜さんの魅力を言葉に。

木村 瑠菜 さん (アムステルダム国立音楽大学修士課程ヴァイオリン専攻)

記事執筆:Ryoji Yoshisada (XPLANE)

時刻は22時40分。すっかり夜も更けた時間なのに「ゼーンぜん大丈夫!」と、名前通りの照り注ぐ月のような雰囲気で対談に応じてくれた木村瑠菜さん。彼女は今年8月末からアムステルダム国立音楽大学でヴァイオリンを専攻している修士学生である。筆者は小さい頃から彼女の音楽友達だが、彼女の耳に注ぐような音楽と朗らかな人間性の魅力は忘れるわけもない。今日は、そんな彼女に、同じオランダに留学する仲間として今回の対談をお願いして、今電話で話し始めたところである。

−− 瑠菜さんてどんな人なんじゃろ? −−

って思ってる人も多いと思うのでまずは瑠菜さんの紹介から。中学生まで広島で育ち(筆者は当時の同じヴァイオリンの門下生)、演奏家としての人生を歩むため、高校は東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校に進学。その後は日本最高峰の、東京藝術大学でヴァイオリンを専攻する。大学在学中には、個人で技術を磨く傍ら、個人リサイタル、プロオーケストラへの客演、テレビCMの録音など、演奏家として既に幅広く活動をしてきた。現在は、Conservatorium van Amsterdam(アムステルダム音楽院)でヴァイオリンの修士課程に所属して、毎日自身の理想の音楽を追求している。筆者は瑠菜さんの幼馴染とはいえ、7〜8年近く直接話をしていないので、これ以上の詳しいことは今日の対談まで全く知らなかった。つまり読者の皆さんは、ここまでで筆者と持っている情報量は同じである。

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(写真)日本で音楽活動中の瑠菜さん

今から記すのは、その声から情熱と決意を心に灯している彼女の語りを、筆者の視点から再現したものである。では時間を巻き戻して、22時40分の電話開始から、お送りする。

−− 今、アムステルダム音楽院で何しよるん? −−

音楽大学のことを全く知らない筆者からすると、その学問や学生生活は深緑の森に隠れた幻の鹿のような存在である。瑠菜さんはその鹿の生態を丁寧にこう教えてくれた。「週に1回教授によるレッスンがあって、それ以外に1セメスター基本1個の授業を取るんよ。」ちなみに筆者を含め、今、「そんだけ?」って思った人はプロ演奏家にはなれない。なぜなら、彼女達は学校の授業やレッスン以外に、毎日練習を10時間近くやっているから。授業については、オーケストラのオーディションのための指導や、自分の担当パートをどうやって弾くのかという技術も学んでいる。加えて、リサーチも開始するという。テーマは「肩甲骨」。バスケットボールの選手が、肩甲骨がきちんと固定されていなかったら安定したシュートが打てないように、ヴァイオリンを弾くのにも適切な使い方、力の使い方が存在するのではないかという仮説を立てている。体全体を使って楽器を動かし音を作り出す、そのためには体の作りや動かし方から学ぶというプロの目の付け所である。彼女の演奏家としての多角的な視点と、専門外の筆者に対し真剣に教えてくれる姿勢に、電話をかけて10分で強く尊敬の念を抱く。現在22時50分。

−− 何でオランダにしたん? −−

演奏家に対し、これほど答えがわかりきった質問をするのもどうかと思ったが、一応聞いてみた。もちろん答えは、「自分の習いたい先生がここにおるけぇここしか考えんかったし、もう決めとった。」だった。師事する先生との出会いは?と聞くと、話は東京藝大の1回生時に遡る。ここはぜひ、一度目をつむり、目を開けたら瑠菜さんになってたと思って読んでもらいたい。

4年前の夏、草津で行われた合宿に参加し、イタリアのある有名な先生にレッスンを受けた。レッスンの終了後「君にピッタリの先生がアムステルダムにいる。」…唐突に言われた言葉、そこから歯車は力を得て回り始める。一人ひとりの音楽性なんてみんな異なるのに、誰と誰が合うかなんて、ほんまにわかるんかねえ…?疑念はあるが、とりあえずその先生にあってこの目で確かめないことには…と、2017年夏、現師匠にレッスンを受けるためイタリアのヴェローナで開催されたセミナーに参加した。そこで初めて出会った師匠の音楽性、弓や体の使い方は、今まで体験したことのない新規性と、試してみたらとてもしっくり来る、音が弾み、深みが増し、表現が脳裏に次々と出てくる、そんな感覚を与えるものだった。あ、私この人のとこに留学したいわ。本能の放つこの声を聞き逃すはずがないくらいに、研ぎ澄まされていた。これからもこの人のレッスンを受けたいからセミナーには来年も行こうって思ったが、1年も待つことができず、2018年2月にオランダで一週間の集中レッスンを願いする。そこでは期待していた指導に加え、オランダでの留学の未来予想図がイメージできた。その年の夏、ヴェローナのセミナーにて「卒業したらいきたいです」と、1年間かけて確信に変わった自身の心を伝えた。

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(写真)左:現師匠との一枚。右:アムステルダムのルームメイトとの一時。

瑠菜さんの音楽家としての行動力と本能の鋭さを感じる一場面が電話越しに熱く伝わってきた。自身の本能の声を正確に聞き分け、その留学を形どっていく彼女の真っ直ぐな姿勢は、誰にでも真似できるものではないだろう。もちろん並々ならない努力と成果によって積み重ねられた当時の瑠菜さんの上に、こうやって、師匠との出会いが重なり、瑠菜さんは今演奏家として、さらなる輝きを放つ階段を上っている。

それにしても、瑠菜さんの話は人を引き込む力がある。なんでオランダにしたん?ていう陳腐な質問からこんなに深い話に発展するとは…たまげたたまげた。時計は23時12分を指している。

−− 音楽を学問として学ぶってどういう感覚なん? −−

音楽というと趣味やリラックスで楽しむ人は多いが、学問として音楽を学ぶというのはどういう感覚なのだろう。瑠菜さんの情熱はここでもまた一段と大きくなる。音楽には答えがない。数学や物理のように法則はないし、楽譜に書いてあることを弾けるようになったり、ソリストとしてオーケストラと演奏したりすることだけがゴールではない。音楽には弾き手とお客さんの「需要と供給」が満たされて初めて成り立つものであるから、音楽を学問するということは、自分の伝えたい気持ちを乗せて、聴き手の「需要」を満たすための媒体としての音楽をいかに磨くことができるか追求することなのだという。そのためには技術も必要、本番で最高のパフォーマンスをだす心理的なコントロールも必要、お客さんに合わせた曲の選択も必要。この対談の中で、瑠菜さんはこの「お客さん」というワードを何度も使って説明してくれた。個人リサイタルでは、お客さんの知ってる曲を入れると同時に、自分の成長もきちんと証明できる技巧的な曲も入れる。暗い雰囲気の曲の後に、明るい雰囲気の曲を入れたり、テンポの違う曲で構成して、お客さんの感情の波を誘導する。それとは別に現在はFeldenkraisという体をリラックスさせて緊張をコントロールする方法も学んでおり、本当に追求心に緩みがない。突然尋ねた質問なのに、自身の目指すことを具体的に表現し、そのために何が必要化考えている瑠菜さんの話には本当に力強い説得力を感じる。

−− 最後に、これから挑戦したいことはある? −−

国際コンクールにも挑戦したり、技術の限界突破に取り組むと同時に、聴いてくれる人に寄り添った演奏を追求していく。また、それを叶えられるような、新しいコンサート形式を確立したいという野望も掲げている。演奏家として生きていく上で、この答えのない問いを追い求め、自分なりの気持ちを伝えられることが人生をかけての挑戦である。

瑠菜さんは、こんなこと言ったら笑われるかもしれないけど、と言っていたが、本当に素晴らしい目標だしそれをいうだけの努力と実力に裏付けられている。更に、抽象的なゴールを目指すことに対して、思っていることを素直に熱く語れる彼女に対し、憧れと、想像もつかない可能性を感じる。

瑠菜さんの熱意のこもった話に身を任せ、話に夢中だったが、気づけばもう0時を過ぎている。学問領域、世界は違えど、これだけ頑張ってる人が身近にいる。刺激をもらった今からすぐにでもラボに走って研究をしたいところだが、今日のところは抑えて寝ることにしよう。目が覚めたら、またお互いの道を全力で駆け抜けることになる。今日はとても素晴らしい会話の機会をありがとう。筆者は瑠菜さんの活躍と成長をこれからも応援し続けることを心に誓って部屋の電気を消した。おやすみなさい。